【書評】残業学 明日からどう働くか?どう働いてもらうか?④
昨日の続きです。
「残業学 明日からどう働くか?どう働いてもらうか?」の書評を書かせていただいています。
「残業麻痺」という病
本書の第3講では「残業麻痺」という言葉が登場します。
「残業麻痺」とは残業をすればするほど幸福感に結び付いている状態のことを指します。「超・長時間労働」によって「健康」や「持続可能な働き方」へのリスクが高まっているにも関わらず、一方で「幸福感」が増してしまい残業を続けてしまう人がいるそうです。
残業をすればするほど幸福になるとはどういうことでしょうか。
残業時間と幸福感の関係を示したのが以下の図です。
なんと残業時間45~60時間を境に、幸福感が反転して上がっていることが読み取れます。長時間労働をすればするほど幸福感が低下していくわけではないのです。
(出典:あなたが残業を止められない真の理由 『残業学』教授が斬る (3/4) - ITmedia ビジネスオンライン)
ただし幸福感を感じているからOKというわけではありません。
長時間労働をすればするほど「食欲がない」「強いストレスを感じる」「病気がある」などの健康上の不調を訴える人の割合は増加しているというデータが示されています。
幸福と感じながらも体調が悪い、ということは長期的にみるとやはり残業をすることは健康上のリスクをはらんでいるということになります。
「残業が人を成長させる」は間違い!?
研究によると「個人の成長実感は残業時間が長ければ長いほど得られる」というデータが出ているようです。しかし、実感があるだけで本当に成長が伴っているか、というと疑問符がつきます。
なんと残業時間が長い人ほど「フィードバック」と「振り返り」の時間が確保できていないそうです。つまり適切なPDCAが回せていないので成長するために必要な行動がとられていないと言います。ただ手探りでがむしゃらにやり続けているだけ、ということです。
そしてさらに、今の日本には「がむしゃらに頑張っている」というだけで評価される風潮がある、と指摘しています。
(p132)実際は、多くの人にとって「量をこなすことが成長につながる」といった思い込みが根強く、質的な面での「背伸び」については、評価も実感もされにくい傾向にあります。
その背後には日本人の「努力信仰」があるように思われます。
高度成長期というガムシャラな時代を引きずっているためか、日本人はどうしても投入した「コスト」「努力」の量を、「成長」と結びつけがちです。
(中略)
「努力をしていて成果が出た」人が称賛されるのは当然ですが、「努力は足りていないのに、成果が出た」人よりも、なぜか「努力はしているけど、成果が出ない」人の方が美談として語られがちなわけです。
非常に鋭い指摘ですね。。。
「残業している=頑張っている=評価される」という構図は確かに存在していると感じます。終身雇用が保証されている時代であれば「残業=会社へ尽くしている」と捉えられた訳です。しかし、今は終身雇用が当たり前の時代ではなくなってきています。また人手不足で労働生産性を高めていかなければならない時代です。「量」ではなく「質」の向上にこだわるべき時代に突入しています。
若いうちはとにかく目の前の仕事にがむしゃらに、一所懸命に取り組むべきだと思います。しかしその努力のベクトルは「量」ではなく「質」に向けられていくべきです。
これからの「日本の生産性向上」を考える上でこの固定観念を取っ払うことが大切になってくる、という指針をこの本から学ばせてもらいました。